『亀』の甲骨日記
 
『亀』がその時々に思ったことや、思いついた小説のネタなどを気の向くままに書いていきます。
 



謹賀新年!



 まず、

新年
あけまして
おめでとうございます


 今年も『亀』や『亀』の甲羅を宜しくお願いします。

 今年のは『勉強をする』ということを決定しました。
 一応、受験生となるので(現在高校二年生)

 去年は色々とありましたが、それについては昨日の分で全て決着ということで。
 過去は振り返りません、テストの点とかは特に。
 ギルガメッシュがイザークじゃねぇかというツッコミは冬休み明けに萌やしにします。
 いや、無関係なことなんですがね。


 随分と前に考えていたこと、賀正などとは全く関係なかったりするんですがクオリアっぽい話を。

 クオリアとは『感じ』のことです。
 まぁ、簡潔に言えば自分が世界に対して感じているあらゆる感覚のことです。

 例えば色。

 自分が青であると感じているものが他人が見ても同じものとして見ているとは限らない。
 難しいですね。

 随分と昔、考えていたのは『眼球の移植』です。
 生まれた時から『この色が赤』や『この色が青』とされているからそう認識しているだけなのではないか、という話。

 まず、三人の人間にそれぞれ『A』、『B』、『C』という記号を割り振ります。
 Aには、赤を『1』、青を『2』、黄を『3』として教えます。
 Bには、赤を『2』、青を『3』、黄を『1』として教えます。
 Cには、赤を『3』、青を『1』、黄を『2』として教えます。

 そして
 Aの眼球をBに
 Bの眼球をCに
 Cの眼球をAに
 それぞれ移植します(うわ

 その場合

・Aの眼球を持ったBは
 赤を『1』、青を『2』、黄を『3』と
・Bの眼球を持ったCは
 赤を『2』、青を『3』、黄を『1』と
・Cの眼球を持ったAは
 赤を『3』、青を『1』、黄を『2』と
 感じるのではないか、というものです。

 現実問題、眼球移植してそういうことになるわけがないんですがね。
 ですが、意識というものに置き換え、クオリアのことも合わせて考えると、『脳を交換すれば』違う知覚になるのかもしれない、という考えに至りました。
 まぁ、脳を交換したら主観自体が変わってしまうので、それが本当に違った物なのかどうかすらもわからなくなってしまうわけですがね。

 俺自身、頭の中で『そうなんじゃないかなぁ』と幼い頃から色々と考えてきていて、その中の一つがこの疑問なわけですが、それを正確に言語に変換することが出来なかったりしています。
 で、まぁ、これがクオリアというのだということを知ったのは実はつい先日――ゲットバッカーズ読んでいて(うわ)だったりします。
 これをちゃんと文章に出来る方、もしくはわからないって方はコメントお願いします。


 ……年始から意味不明なことを口走っていますね。

 今年の抱負――いや、俺の人生の抱負ですね、最早。

 これは、やはり一つしかありません。

 最適に当たる行為を――過剰でもなく、不足でもなく――過不足なく行う。
 最も純粋で、単純なこと。

 それは――




適当!





 今年もどうか、宜しくお願いします!

Be suitably.



1月1日(月)22:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 記念 | 管理

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